誰より大切で必要な人。 生きていく証をくれたその人はこの世で一番遠い人だった。
じりじりと地面を突き刺す太陽が最も強く照った夏の日。この世で唯一の身内だと思っていた母親を永遠に失ったその日、藤間零(とうまれい)はまだ12歳だった。天涯孤独の身の上となるはずだった零を救ったのは今まで一度もその存在を知る事の無かった母の身内だと名乗る叔父、倉敷壱夜(くらしきいちや)だった。
「君が零君だね? こうしてみると姉さんに良く似ているよ。」
屈みこみ視線を合わせ微笑むその顔を見上げた少年は会った事も無い人にどうしても眉を訝しげに歪ませるのを隠せない。そんな少年の心を知らずに彼は変わらず微笑んだまま手を差し出してきた。 大きな手に警戒心をそれでも解けないのかそろそろと顔を上げる少年に男は変わらない笑みを向けてくる。警戒心が解けないまま、ゆっくり、と伸ばした小さな手を暖かな温もりがしっかりと包みこんだ。それが二人の出会いの瞬間だった。 当事12歳の零と喪服に身を包んでいるのに汗ひとつかいていない男、壱夜が22歳の夏の日だった。
出会いから5年の月日が流れた。零は17歳、壱夜との同居は波風一つ立つ事無く、穏やかに過ぎていき、最初は他人だと線を引いていたはずの警戒心すらどこかに置き忘れてきたのか、零と壱夜はまるで兄弟の様に仲良く過ごしていた。
「壱夜さん、今日は早い?」
「・・・・・うんと、いつも通りかな?」
27歳にもなるのに、小首を傾げ眠たそうに告げるその声に零は苦笑が隠せないまま「了解!」と短く答える。 スーツを着れば立派な社会人に見えるのに朝の壱夜は着古したジャージにTシャツをパジャマ代わりに、スーツ姿では整えているはずの頭もボサボサであちこち寝癖がついている。そんな彼を見れるのは朝だけで自分だけの特権が零には嬉しい。手を握ってくれたあの日から零にとっては大事な身内ででもそれだけじゃない感情が胸の奥育ってきているのを密かに自覚はしていた。 口に出してしまえば、朝のこの特権さえもが綻びそうで決して口には出さないと決めてはいるけれど、壱夜を見るだけで鼓動が跳ねるのを零は気取られないようにいつもの様に笑みを浮かべる。
「じゃあ、俺 先に行くから、食べ終わったら水につけといてね。」
「うん、行ってらっしゃい、気をつけて。」
用意されている朝食を口に含みながらも出て行く零に壱夜はいつも同じ言葉を告げる。初めてこの家から学校へと向かったあの日から変わらないその言葉に手を振ると零は玄関へと慌しく出て行く。
「もうすぐ5年。」 同時に母親の命日が近づいて来るのを暑くなりそうな気配をすでに十分漲らせている太陽を翳した手の下から見つめた零は一人、学校へと向かいながらそっと呟く。夏が過ぎれば、零は進学か就職かの選択を迫られる。 漠然と高校を卒業したらあの家を出て行くと考えていた全てが形になるのももうすぐだ。自立しなければ、そう思うのと同時に壱夜から離れるのを躊躇う気持ちもあった。 だけどこれ以上は一緒にいられない事は零が一番良く分かっていた。口に出せないまま、それでも確実に育っていく想いを抱えたまま、壱夜の傍にいる事は零にとって苦しい現実だった。 本当か嘘か未だに確信すら持てないけれど、一応は引き取ってくれた実の叔父に抱く不埒な想いを気づかれるのは恐怖で、だからといってもう27歳の壱夜には身近にあるだろう結婚相手を突然連れて来られるのも耐え難い苦痛だった。 一緒に暮らしているのに、壱夜に恋人がいるのかいないのかも零は知らない。あの家に零が来てからはその影すら見当たらない。けれど、いないわけは無いと確信にも似た事は何度かあった。帰りが常より遅い日とか外泊すらしないけれど、日付が変わってから帰宅した事、さすがに零の休みの日は一緒にいてくれるけれど、それで恋人への対応が悪くなっているのかと想うと遣りきれない。早く解放してあげたい、一緒にいたいそんな正反対の気持ちが想いを少しづつ自覚した零の中で激しく鬩ぎあっていた。
*****
壁の時計が午後22時の報せをするのをぼんやり見上げた零はいつもよりも少しだけ早起きをして出て行った壱夜の今朝の姿を思い出す。零が起きたその時には身支度を済ませた壱夜は優雅にコーヒーを飲んでいた。珍しく早起きしたからと零の食事の用意もされていて、驚く零の目の前で車の鍵を手にすると「行ってくる」と部屋を出て行った。見送るのはあまり経験が無いけれど、慌てて返す零に笑みを向けた壱夜は颯爽と部屋を出て行った。聞きなれた車の遠ざかる音がして、零はやっと息を吐き出した。 何も言ってなかったし聞いてない。それなのに、いつもなら遅くても20時頃には帰宅してくる壱夜は時間になっても帰宅しない。 遅くなる時にはいつもなら電話の一本もあるのにそれもなく、零は目の前の冷めてしまった食事を眺め重い腰をやっと上げる。ラップを次々とかけ冷蔵庫へとしまう間も不安が胸の中、大きく膨らむ。零の亡き母も普段と変わり無く過ごしていたある日突然還らぬ人となった。あの時の恐怖が胸の中更に大きくなり、自室に戻る事なくソファーで蹲る零は耳に響く車の音に慌てて顔を上げる。 バタバタと部屋から出て行く零の目の前の玄関の扉が開き、壱夜の姿を認め零は張り詰めていた息を吐いてから、彼と同時に入って来た人に気づく。
「あの・・・・・?」
「・・・・・ああ、ごめん、零君だよね? 飲ませすぎたらしくて、部屋まで俺が運ぶよ、どこかな?」
酔っているのか、隣りの男に支えられている壱夜は顔も上げない。意識が不鮮明なのか、支えているというよりもほとんど男が抱えていると言った方が良くて、零はそんな壱夜を見るのは初めてだった。
「・・・・・こっちです、手伝いますか?」
「平気だから、心配しないで。 ほらっ、しっかり歩けよ!」
男の声にうーとかあーとか声にならない呻き声こそ漏らすけれど、壱夜の意識はほとんど無いのか歩く足取りもかなり危うい。零の案内も必要ないのか、男は零を手で制すると、そのまま壱夜の部屋へと向かう。慣れ親しんだ家なのだと見せつけられている様で零はぼんやりとその背をじっと立ち尽くし見つめる事しか出来なかった。 男は野添明彦(のぞえあきひこ)と名乗った。壱夜を運び居間へと戻った零の元へと近づいて来た彼は零の勧めるコーヒーを手にソファーで寛ぎながら口を開く。
「壱夜とは古い付き合いでね。 俺が仕事で遠くに行ってたから会うのが久しぶりで、つい飲み過ぎたせいで醜態をごめんね。零君の話も引き取った日から聞いてはいたんだけど、本当に澪さんに似てるね。」
「・・・・・母も知ってるんですか?」
「そりゃ、壱夜の姉だし・・・・・何度か会った事もあるよ。」
聞けば明彦は産まれた頃からご近所の幼馴染らしくて、実家はこの近くだと言った。ここは壱夜の生まれ育った家でもちろん母の育った場所でもある事を零は明彦に聞くまで知らなかった。言われてみれば仏壇のある奥の間、見知らぬ人の写真が飾ってはあるけれど、まさか祖父と祖母なんて壱夜は一言だって零には言わなかった。言われて初めて、独身の就職も決まったばかりの男が一人で住むには広い家だと5年目にして初めてしる事実に零は内心驚きを隠せなかった。聞いたらきっと答えてくれただろうけれど、壱夜が一言だってここが母の生家だと言わなかった理由が分からなくて、零は明彦が帰った後、仏間へと行きぼんやりと蹲った。
がたん、と音がしたのに蹲っていた零は驚いて顔を上げる。広いけれど静かな家は物音一つ大きく響く。壱夜が起きたのかと、居間へと戻った零は冷蔵庫に寄りかかる様にしてペットボトルをラッパ飲みしている壱夜に気づく。
「・・・・・壱夜さん、もう平気なの?」
問いかけながら近づく零に気づいたのか顔を上げる壱夜はまだ酔っているのか目が空ろだ。
「壱夜さん?」
「・・・・・零、まだ 起きてたんだ・・・・・」
空ろな瞳でぼんやりと呟く声に零は近寄るとまだ十分に漂うお酒の匂いに一瞬眉を顰める。
「大丈夫? まだ寝ていた方が良いんじゃないの? 歩ける?」
寄りかかる冷蔵庫から少し身を離した壱夜がよろけるから零は咄嗟に手を伸ばす。頭一つ分、背の高い壱夜を支えられるとは思っていなかったけれど、咄嗟の事に何も考えていなかった。伸ばした手が壱夜に触れるより先に体勢を自力で整えた壱夜の手が零の手を掴んでくる。
「・・・・・壱夜さん?」
捕まれる手に何の意味があるのか分からず見上げた零の目の前、壱夜はただ口元に笑みを浮かべる。背筋に悪寒が走るほど、見た事の無い、その笑みに恐怖でぶるり、と肩を揺らした零は捕まれた手を離そうとするけれど、それより早く壱夜は零の手を引き胸元に引き寄せ軽々と抱き上げた。
「壱夜さん? 何して、ねぇ、降ろして!」
突然の行動が分からず叫ぶ零の声を聞いていないのか、抱き上げたまま壱夜はすたすたと歩き出す。 辿り着いたのは壱夜の部屋、乱暴にベッドへと投げ出され、起き上がろうとする零はすぐに壱夜によってベッドへと押し戻された。 状況が巧く飲み込めないまま、肌がぴりぴりするのを零は感じる。逃げようと抵抗する零を壱夜は上に圧し掛かり体全体で抑えたまま、黙って零を見ている。その目はやっぱり空ろでかなり酔っているのか匂い立つお酒の香りに咽そうなほど近づかれ、零は思わず顔を逸らす。 両手を片手でベッドへと押し付け、体を圧し掛かる事で押さえつけた壱夜はそんな零に顔を近づけると背けた顔を手で引き寄せる。強引に正面へと向けさせられた零に壱夜は唇を舌でぺろり、と舐めると笑みを浮かべる。何を考えているのか全く分からないまま、体中を恐怖が襲いこまかく震えだす零に顔を近づけてきた壱夜はぺろり、と今度は震える零の唇を舐める。驚き瞳を見開く零に構わずそのまま唇を押し付けてくる。 息さえ奪うまるで食われる様なキスとは言えない口吻け。ねっとり、と絡みつくそれに一瞬抵抗を忘れた零はぼんやりと目の前を見つめる。舌で閉じた唇を強引に押し開き逃げる舌を絡めとり、深く深く犯される口内。零れる唾液も惜しいのか、唇を伝う唾液さえも舐めとり繰り返されるソレに、頭の中が酸素不足でぼんやりしてくる。いつのまにか自由になっているのにも気づかないまま零は溺れるようにその口吻けを受け入れる。そんな零の変化に気づかないまま壱夜は毟り取る様に零の服を剥ぎ取ると現れる素肌を舌で指で弄りだす。特に胸の両の粒は念入りに舌で舐め、指の腹で擦り、唇へと含み、ぷっくり、と膨らむソレをまた唇へと含みながら、手は下肢へと伸ばされる。
「やっ、だめ・・・・・」
制止の声に構わず伸ばす場所、ほんのりと形を浮き出すソレに壱夜は顔を上げる。頬を赤く染め羞恥で唇を噛み締める零の顔に何度もキスをすると零は震えながらもおずおずと手を伸ばしてくる。首筋へと回されるその手はしっかり、と縋りついてくるから壱夜は彼の背を抱き寄せキスを繰り返す。そうしてもう一度指を絡めた場所をゆるゆると扱き出した。
*****
ギシギシと一定のリズムで軋むベッドの上、両足を大きく広げた零に壱夜が覆いかぶさっている。ぐちゅぐちゅと壱夜が腰を動かすたびに卑猥な水音が漏れ、必死に閉じた零の唇の隙間から声にならない呻きが零れる。何をされているのか、今更気づいてももう遅かった。体の至る所を暴かれ、見られていない場所も触れていない場所も無い、今になって零は自分の身に何が起こっているのかを自覚する。それでももう今更だ。相変わらず濃厚な酒の匂いは続いているから、壱夜は酔えば欲望を抑えられない人になるのかもしれない、と今更気づいた所で抵抗する気力すらないほど未知の快感は零を溺れさせていた。 体の中心部ともいえる本来その機能は無いはずのその小さく硬く閉じた蕾を強引に割り開かれた時こそ強烈な痛みを感じたけれど、痛みよりも熱い塊に体の奥を探られる見知らぬ快感の方が勝っていた。今はただ揺らされる。獣の様な壱夜にされるがまま、だけど唯一つ残った零の理性だけは声を出し喘ぐのだけは拒んだ。油断すれば漏れそうになる声だけは必死に唇を噛み締め堪える、それが零のプライドだった。 永遠にも続くと思われたソレは体内で大きく育ち熱を迸らせると同時に零は意識が遠のいていくのを感じていた。
酷い体の倦怠感で零はゆっくりと重たい瞳を開く。行為の間中ずっと潤ませていたせいか、目が腫れている感覚に息を吐き、起きあがろうと体に力をいれた瞬間全身に走る激痛にベッドへと戻る。それからゆっくりと昨日の出来事を思い出し、赤く染まる頬を抑え零は枕へと顔を押し付ける。記憶は当たり前だけどはっきり残っていた。未だに服すら着ていない、それだけで醜態が蘇り、零はそこで改めて昨夜の相手である壱夜を探す。一人きり寝かされたベッドの中きょろきょろと視線を彷徨わせた零は一人取り残された自分に気づく。
「・・・・・どうして、壱夜さん・・・・・」
傍に誰かのいる気配も無いし、見渡した限りでは姿も見えない。不安でベッドから今度はゆっくり起きあがろうとした零は扉の開く音に気づく。
「零! まだ、寝ていないと・・・・・」
慌てて駆け寄る壱夜の伸ばした手に零はびくりと身を疎ませる。昨夜の自分を思い出し顔色を変える零に壱夜はその背にもう一度薄い肌布団を掛けるとその上からぽんぽんと軽く叩く。
「・・・・・ごめんなさい、壱夜さん。 あの、気分は?」
「俺は良いよ。 ごめんね、零・・・・・俺は零に・・・・・」
「気にしないで! 酔ってたんだから仕方ないよ。 僕は平気だし気にしないで!」
謝られるのを遮り零は一気に告げる。酒に酔った人間なら誰しも間違いはある、と続ける零に壱夜は眉を顰めるとぐっと体を近づけてくる。
「・・・・・壱夜さん?」
「間違いにはされたくないんだけど。 人間本性が出るとか言うだろ? あれが本音だと聞いても零は俺を拒む?」
「・・・・・だって、僕達は・・・・・」
「うん、女の子じゃなくて良かったよ。」
そろそろと布団の隙間から顔を覗かせる零にほっとしたような顔で壱夜は笑みを浮かべるとそっと顔を近づける。
「だって、だって・・・・・壱夜さん・・・・・」
「もう、黙って!」
更に言葉を繋げようとする零に壱夜は唇へと指を押し当てる。黙り込む零に壱夜は笑みを深くすると更に顔を近づける。柔らかく押し付けられた唇は生暖かい体温を感じる。ぼろぼろと溢れだして来る零した涙を長い指で拭いながらも壱夜は何度も零にキスを送る。それは次第に深く永くなり、ベッドの軋む音と同時に温もりに包まれた零は瞳を閉じる。 お酒の匂いなんかどこにもしない、いつもと同じ覚えのある壱夜の匂いに包まれ零はその日一日かけて壱夜の『愛』を教え込まれた。
それから毎夜、二人で眠る、眠れない日々が始まる事を零はまだ知らない。 今は、どろどろに溶かされ、壱夜の腕の中、束の間の安眠を貪っていた。
久々の読みきりであります。久々すぎて調子が出ないですが、叔父と甥。波風はこれからの二人です。 20090523
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