絡む指

喧騒の中、成橋(なるはし)はびくり、と肩を揺らした。
sexもkissもとっくに済ませたのに、こんな人前での些細な触れ合いさえも未だに慣れない。付き合って半年も経つというのに、素肌でお互い知らぬ所も無い程余すところなく愛され、愛しているのに、恋人の些細な触れ合いだけでも成橋の鼓動を高め、体温さえも上昇させる。
こんな自分を知られたくないから、成橋は平気なフリして笑う。些細な触れ合いなんてどって事無いんだと、誰でも無く恋人にそうして伝える。本当は羞恥で荒れ狂う心を絶対に気づかれない様に成橋は今日もただ笑みを浮かべた。

恋にはドライなのが成橋だった。
深入りしない、相手を深く知るのは体だけ、心はそこそこ、傍にいるその時だけ互いを向いていれば困る事は無かった。だけど、そう思っていたはずなのに、半年前に始まったこの恋には今までの成橋の経験が何一つ役立たなかった。
恋人といえど他人、そんなのは成橋が一番良く分かっていたはずなのに、恋に溺れる人を傍から見て笑っていたはずの自分が同じ立場に立っている事に成橋は最近気づいてきた。
少しでも良く思われたい、それはもちろんだけど、溺れていると自覚したのは、恋人が少しでも別の事に興味ある話を聞くと自分もソレを少しでも知ろうと思うようになった事だ。こんなのは自分じゃない、心のどこかで反対の声が上がるのに、成橋はのめりこむ自分に気づいていた。だから少しでも恋人に本当はベタ惚れなのだと気づかれるのが怖くなった。溺れる自分に惚れたのではないと言われたら、きっと自分は立ち直れない。だから、成橋は恋にドライな自分を演じる。恋には決して溺れないと、恋人を詮索しない。本当は自分といない時何を考えているのか聞きたくても、口を閉ざす。大人の顔をして笑みを浮かべる。余裕のある大人な自分を必死に演じる。嫉妬に荒れ狂う胸を必死に抑え、成橋は恋人のいない夜はひっそり、と枕を濡らした。


*****


誰にでも平等、恋にはドライ、興味のない事には一切関知しない、唯我独尊、自己中のマイペース。それが今までの成橋だった。だから、恋人は数ヶ月のサイクルで変わっていった。長くて半年だと言われているのを成橋は知っている。今の恋人とも付き合って半年、そろそろ潮時だと噂されているのも成橋は気づいていた。
「・・・・・付き合って欲しいの。」
上目遣いで恋人へと視線を向けた女が巷で騒がれている何とかというアイドルに似ていると言われている彩菜(あやな)だと気づいて成橋は足を止める。学内でも学外でも彩菜の人気はかなりのもので、成橋は恋人の顔を窺いたくても今いる場所からは彼の顔も見れないのに気づくとそっと息を飲み告白劇の最後を見守る。別に不仲にはなっていない、恋人は相変わらずどこでも成橋に触れたがるし、昨日だって存分に愛情を確かめあった。けれど、それは成橋の主観で、決して恋人の主観ではない。上手くいっていると思っているのは成橋だけで恋人はそうは思っていないかもしれない。そんな不安が足を止めた原因で要は自身が無かった。
恋人が何事かを彩菜に告げると彼女は笑みを浮かべる。さすが可愛いと評判の彼女は笑顔も可愛らしい。嫌な予感が胸の中を渦巻き、成橋は結局足早にその場から去る。どんな言葉を告げれば彼女が笑うのか、成橋はその想像すらしたくなくてたった今見たはずの現実から目を背けた。蓋をしてがんじがらめの鎖をかけ、ごつい南京錠をかける自分を想像する。
成橋の記憶の奥底、それは綺麗にしまわれた。

「俺、今日は出かける予定があるから、無理。」
恋人の誘いの電話に特に重要でもない用事を口に出し断る成橋に彼は残念そうに笑みを返してくる。「また、誘うよ」そう言うと背を向ける彼に思わず伸ばしそうになった手を必死に握りしめ成橋は去って行く背中をぼんやりと見送る。
誘いの全てをあの日から悉く断っている成橋にそれでも恋人は懲りずに誘いをかけてくる。今までは三回に一回は承諾していた成橋の態度に恋人はそれでも何も言わない。言われないのが寂しいと思うほど、まだこんなにも恋人が好きな自分がいるのに、成橋はそっと溜息を漏らした。
逃げ回っては何も進まないと何度目かの誘いにこくり、と頷くと恋人は綺麗な笑みを見せ、浮き足だったように予定を口に出す。何気ない映画や買い物だって自分といるだけで嬉しいのだと態度で現す恋人を成橋はじっと見つめる。だけどそこに嘘や偽りがあるのかどうかは結局分からず、成橋はただいつもと同じ笑みを浮かべた。

「別れよう」
それは突然の言葉だったのか、大きく瞳を見開く恋人に成橋はいつもと変わらない笑みを向ける。これが最後だと成橋は決めていた。もう恋に振り回され心を掻き乱されるのは嫌だった。恋に溺れた結果、吐き出すのではなく逃げる事、これが成橋に残された道だった。声を大にして「好き」と言える勇気は今も昔も成橋には無い。去る者追わず、来るもの拒まず。それが自分だと何度も言い聞かせた結果、成橋は好きとも言えない恋人を手放す事を決めた。
「どうして? 俺、何か気に入らない事をした? 上手くいってたじゃん!」
「形だけだろ? 俺が誰かと別れるタイミングはいつも変わらない。分かってて付き合ったんじゃなかったっけ?」
淡々と決定事項だと告げる成橋に食い下がろうとした恋人に変わらない笑みを向けたまま成橋は口を開く。
「今日で終わり。 俺はだからお前の誘いに今日は乗ったんだよ。ちゃんと言わないと理解してくれないみたいだから。じゃあ、ばいばい」
告げると立ち上がる成橋の前、恋人は何も言わずにただ俯いていた。何か言おうと口を開きかけ、成橋は結局何も言わずにその場から逃げる様に立ち去る。我が儘で酷い男だと記憶に残ってくれるならそれが成橋の本望だ。


*****


成橋の日常は常と変わらない。恋人と別れた事もいつのまにか広まっていて、毎日見知らぬ誰かに告白されるけれど、成橋は適当な言い訳を告げ、珍しく全ての告白を断っていた。誰かと別れてもまたすぐに次が出来ると言われている成橋のその珍しい姿に振ったじゃなく実は振られたんだと憶測が飛び交ったけれど成橋は沈黙を守った。
恋人だった男を見つけたのは偶然だった。あの日、別れの言葉を告げてから、一度も見かけなかったその姿に鼓動が跳ねる。その場を何事も無かった様に通り過ぎようとして成橋はすぐに視界に入らないように物影へと隠れた。
彼に近づいて来たのは一人の女。見覚えがあるのは当然、ソレは彩菜で、成橋はドクリ、と更に鼓動が跳ね上がるのを感じる。笑顔を向け何かを告げる彩菜に彼は首を振る。それでも懲りずに腕を掴み告げる彩菜に困った様な顔を見せた彼は彼女を腕に絡ませたまま歩き出す。
ずるずると壁に凭れ座りこんだ成橋は自分から捨てたはずの恋の痛みに呻く胸元を抑える。嫉妬だと分かっていた。自分から捨てたのに、ちっとも恋を忘れていない成橋は蹲ったまま唇を噛み締めた。誰と付き合おうと自分にはもう関係ないと分かっているのに、感情はソレを理解しない。どこまで恋に溺れていたんだと自嘲の笑みを零した成橋はのっそりと立ち上がると、今はもう姿も見えない男の影を探しかけ、頭を振るととぼとぼと歩き出した。

あの日、成橋の元恋人が彩菜と帰った姿はかなりの目撃情報があり、それと共にやはり成橋が振られたのだと噂は瞬く間に広まった。それでも成橋は毎日違う誰かに告げられる告白を断り、沈黙を守ったまま一人静かに飛び交う噂を否定も肯定もしないままいつもの日常を暮らした。
「お久しぶり、成橋」
掛けられた声に成橋の足は止まる。部屋の前、座りこんでいたのかすぐに立ち上がった男は成橋よりも頭一つ分は高い。口調は普通だったけれども成橋を見つめる彼の瞳は常に浮かんでいた優しさはどこにも見当たらず冷たさだけが際立つ。
「久しぶり、元気そうだね。 可愛い彼女とはその後どう?」
小首を傾げ、その瞳の冷たさにも動じないまま笑みを浮かべ問いかける成橋に男は肩を揺らした。目の前にいるのは元恋人、今でも愛しいと思える人のはずなのに、醸し出す雰囲気は成橋の知っているソレでは無かった。それでも戸惑いを押し殺し、変わらない笑みを作る成橋を彼は見下げるように睨み付ける。
「・・・・・何の話をしているのか分からないね。・・・・・俺はあんたに文句を言いたくて来たんだ。」
「文句?」
「学内を飛び交ってる噂だよ! 俺があんたを振ったなんて広まってるアレだよ。こっちはそれでかなり迷惑してるんだ。今すぐ噂を否定してくれ!」
「・・・・・何で、迷惑にはならないだろ? 振った事はあっても振られた事の無い男を唯一振った男だよ。 自慢にならないか?」
眉を顰め、不思議そうに呟く成橋に彼は苛立った様に目の前の壁を拳で叩く。がん、と物凄い音がして、成橋は彼の拳へと慌てて目を向けるがその拳はすぐに成橋の目の前から隠された。
「いい迷惑だって言ってるだろ? あんたにはどって事ないかもしれない、けど、好きなヤツに突然振られた挙句に逆の事を噂されたんじゃ俺はかなり肩身が狭いんだよ! あんたを振った理由を聞いてくるやつもいるし、もういい加減にして欲しいんだ。」
彼の呻く様な叫びに成橋はぼんやりと彼を見上げる。別れた自分に対する未練なんてカケラも見当たらない彼の言葉に成橋は「噂は否定しておくから、安心してよ」それだけを告げる。もう用は無いのか彼は成橋の言葉に「なるべく早くしてくれ」と告げると同時に背を向ける。

遠ざかる背をぼんやり眺めながら成橋は最後に本当は凄く凄く好きで、溺れて二度と這い上がれなくなりそうな自分が怖かったのだと、一度でいいから、まともに彼の思いに答えてあげれば良かったとそれだけを思った。
二度と触れる事の叶わない彼の温もりを思い出し、成橋は掌を握り締めた。


暗い。しかも名字しか出て来ない・・・・・ですがしっかり続きます。 続きは次回CLAPで。これの続きかどうかは決めておりませんが; 

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