上品な曲がかかっている少し高そうなイメージしか持てない喫茶店の片隅に二人の男が座っていた。 一方的に話を勧めているのはスーツ姿のサラリーマンだろう。 そうして着古したジーンズにくたくたのパーカー、そんないでたちの今どきの青年はそれを苦虫を噛み潰した様な顔を俯かせたまま聞いている。 まるで面接官と面接を受けに来た青年、そんな雰囲気の二人だった。
「お互い、忙しくなってきたし、少し距離をおかないか?」
最近決まり文句の様に同じ事しか言わない目の前の男に千住朋也(せんじゅともなり)はまたかと内心溜息を零す。 はっきり言えばいいのに煮え切らない男に苛々が募りながらも黙ったまま口元を歪めた。
「聞いているのか、朋也?」
必死の形相で声をかけてくるから朋也は俯いていた顔を上げる。
「聞いてるよ、毎回毎回、同じ言葉しか言わないから、飽きてるんだよね。」
「聞いているなら、考えて欲しい。何も別れたいとは言わない、だけど少し考えたいんだ。」
「・・・・・はっきり言えば?子供と付き合うのは飽きたって・・・・・その方が僕も楽になれるし・・・・・」
溜息をこれみよがしに盛大に吐くと朋也は立ち上がる。
「朋也?」
慌てた男の声に振り向きもしないまま、そのまま朋也は歩き出した。
店を出ても追ってくる気配は見られなくて一人歩き出した朋也はショーウインドウに映る自分の姿をちらりと眺める。 いかにも若者というよりも、少しみすぼらしい格好の自分は洗練されたスーツ姿の人が何度も通り過ぎるこの都会の空気には似合わないと常々思ってはいた。 ついさっきまで目の前にいた男を思い浮かべると朋也の口からは重苦しい溜息しか零れなかった。 能川建彦(のがわたけひこ)。 それがあの男の名前、7年付き合った朋也の彼氏と呼べる人だ。 近い内に過去形になりそうな事を思い、朋也は止められない溜息を零しながらもとぼとぼと歩き出した。
*****
携帯を眺め、あの日別れた建彦から何の連絡もない事を確認しては携帯をしまう、そんな動作を朋也は日に何度も繰り返していた。バイト先や大学の友人達には「振られたのか〜?」とからかわれ、笑みを浮かべごまかしてはみたけれど、本当にあれが最後だったのではと朋也は尽きない溜息を零した。 学生の朋也と社会人の建彦、たった二つしか違わないのに、社会人の彼と学生の自分ではとても差がありすぎる。 方やスーツ姿が当たり前の生活、社会人として責任だって感じているだろうし、日々仕事で手いっぱいだと良く言っていた、一方その彼と比べると自分はまだまだ世間の荒波にもまれる事なく日々だらだらと暮らしている。 価値観の違いや生活のすれ違いは建彦が社会人になってから大きく浮き彫りになっていた。 もう、駄目なのかな〜、と何度も思ったけれど、その度に建彦のいない生活を思い浮かべた朋也は踏みとどまって来たのに、建彦は簡単にその壁を壊してしまった。 携帯をとりだし、メールを呼び出した朋也は泣きそうな顔でメールを作成する。 言われる前に言いたかった。 ずるずる引きづるよりもすっぱり終わらせればきっと次のステップへと上れる。 だから、思い浮かべた顔に頭を振り、朋也はメールを送信した。 たった一言、会わずとも声を聞かずとも用件だけを送れる、7年付き合った男と別れるのがたったそれだけなんて朋也は虚しくなって一人自嘲の笑みを浮かぶのを抑えられなかった。
メールを送信した後も建彦からの連絡は当然なかった。 当たり前だけど、向こうは当の昔に別れたがっっていたのに、今の今まで朋也が頷かなかっただけなのだから。 すっきりしたというより、ごっそり大事な物を置いてきてしまった感覚に囚われている朋也と違い、肩の荷が降りたと満足しているだろう。 普段通りの生活、朝起きて学校に出かけバイトに行き家に帰り寝るその繰り返し、いつもと変わらない毎日、たった一つ長年大切にしてきた「恋」が消えても朋也の生活は変わらなかった。 たまにバイト先や学校の友達と遊び、暇な日はなるべく作らない様に予定を詰め込み、考える時間さえ失くそうとはしたけれど、音沙汰ない携帯を眺める未練を断ち切りたくて、さっさと番号を変えて携帯も新しくした。 アドレスも早々に消去したし、建彦の痕跡が少しでも残る部屋の中も片付けた、それなのに、朋也の中には後悔が滲み出していた。
「合コン?」
「そう、最近ちょっぴり暗い朋に彼女を作りましょうの会が出来てさ。」
「何だよ、ソレ。お前らだって彼女いないじゃんか。」
「朋君、それは禁句です!・・・・・・なぁ、行こうよ、きっと楽しいよ。」
友人達の好意に朋也は頷くと笑みを向けた。 彼女が出来なくても良い気晴らしにはなるだろうとそう信じて疑わなかった。
「これ、アドレス。良かったら連絡して。」
肩へともたれ携帯のアドレスを交換しながら耳元へと囁いてくる声に朋也は頷くと隣りの彼女へと笑みを向ける。 細い体を更に強調するぴったりとした服の上からだと余計に豊満なバストは良く分かる。 いまどきの甘い香水を香らせた彼女には男の本能を刺激されそうで、朋也は笑みを更に深くする。 お持ち帰りもできそうで、本当に良い気晴らしになりそうで、来て良かったと心からそう思えた。 他の女の子と話す事なく終始、その子と話、盛り上がってきた頃次の店へと移動した。 大人の雰囲気を醸し出す落ち着いた店内の隅に座り、薄暗いのを良い事にお互いの体へとそっと触れ合う。 唇を何度も合わせると互いの体もお酒だけじゃない何かに突き動かされ朋也は彼女を誘い店のトイレへと移動する。 舌を絡ませ、唾液が零れるのも構わず唇を何度も重ねる。 その内互いの手で互いの体を弄り合いながらも行為に没頭しだした時、突然扉が開き朋也は彼女を抱きしめたまま目だけを扉へと向ける。 偶然の再会にしてはタイミングはとても悪かった気がするけれど、扉が開いた事にも気づかないままキスを求める彼女と唇を重ね合わせたまま朋也は入って来た人物へと視線を向ける。 相変わらず隙のないスーツ姿で、きちんと整えられた髪、少し驚いたのか瞳を大きくはしたけれど、何も言おうとはしない。当たり前のその態度に朋也は彼女を放し、人が来た事をそっと伝えると腰へと手を回し彼女と共に出口へと向かう。
「ガキはどこでも盛るね〜」
彼の同行者だったらしい男の声に朋也は笑みを向けるとそのまま彼女を連れ、中へと戻る。 途中で邪魔が入ったけれどお互いに熱は冷めていなくて早々に帰り支度を済ませた朋也は彼女を連れ出口へと向かう。見覚えある面影をそっと探そうとする自分に唇をそっと噛み締めると彼女の腰をぐっと引き寄せる。
「どこ、いこっか?」
「・・・・・行く?」
問いかける声にそっと答える彼女へとそっとキスをした朋也は目的の場所へと歩き出した。
「待てよ!・・・・・話があるんだ、朋!!」
ぐい、と強引に腕を引かれ朋也は声の主を認め捕まれた腕を勢いをつけて放す。
「俺にはないよ、それにもう関係ない人だし、親しく名前呼ぶのも止めて下さい。」
振り払った手を擦りながら淡々と答える朋也に彼は眉を顰め、それでも腕を伸ばしてくる。
「放せよ!・・・・・・俺には話はないって・・・・・」
突然の闖入者に呆然と立ち尽くす彼女に建彦はポケットから取り出した万札を強引に渡し、必死に抵抗する朋也を強引に引きづり逆方向へと歩き出した。
「・・・・・ちょ、っと・・・・・」
「・・・・・帰ってくれない?・・・・・・こいつと話があるから、長くかかりそうだから、君は帰った方が良いよ、悪いね。」
悪いとも思ってない声で白々しく告げながらも朋也をしっかり抑えこんだ建彦はもう彼女を見向きもすることなく半ば抱え上げるように朋也を引きづり歩いていく。 渡された札束を握り締め唖然とした顔で見送った彼女は暫くその場から動く事も出来ずにただ立ち尽くしていた。
*****
小さく続いた隙間へと有無を言わせないまま朋也を引きづりこんだ建彦はそのまま勢いをつけて壁へと押し付けた。 がつん、と衝撃を背に与えられ微かに眉を顰める朋也を建彦はそのまま強く腕を握り締めた手を緩める事もしないまま更に強く壁へと背を押し付けた。
「・・・・・痛い、よ・・・・・・」
「あれはどういう意味?」
「・・・・・意味ってそのまま、もう関係ないんだから、放せよ!」
ぎりぎりと肩を締め付けてくる痛みに眉を歪め答える朋也に建彦は何も言わずに顔を近づける。
「んっ・・・・・ふっ、っや・・・・・・んんっ・・・・・」
強引に唇を塞がれ頭を振り逃れようとする朋也の頭をも抑えつけた建彦はそこが郊外だというのに強引に歯列を割り舌を滑りこませる。朋也の意思すら無視した強引なそのキスから逃れられないまま送りこまれる唾液を口の中飲み込み切れず溢れさせ唇の端からだらだらと零れ落ちる頃、唇はやっと開放された。 そこで逃げればいいのに、久々に味わった強引すぎるキスに足の力が抜けた朋也は壁を支えに立つのがやっとの状態のまま目の前の男を睨みつけた。
「何のつもりだよ、今更!」
がくがくと震える足を必死に踏ん張り、壁を支えに辛うじて立っている今の状態を気づかれたくなくて必死に虚勢を張る朋也の前、建彦はただ笑みを浮かべた。 思わず背筋に冷たい汗が流れ身震いする朋也に建彦はそのままじっと朋也を見つめる。
「俺は認めない、あんなメールの言葉なんて認める気はないから。・・・・・朋也は俺のモノだって言ったろ?」
「ふざけんなよ!・・・・・もう、関係ないじゃん。」
「だから、あんなメール一通で別れるなんて認めない。・・・・・・朋の体は、女の体じゃ満足できないだろ?」
耳元へとそっと囁く声に背筋に悪寒が走りながらも、必死に立っている朋也は建彦を無言のまま睨み付ける。 肯定も否定もせずただ睨んできた朋也に微かに唇を歪めた建彦はそのまま奪うようなキスをしてくる。 吐息も唾液も貪る様な深いキスに朋也は抵抗を試みるけれど、壁に押さえつけられ身動きの取れないままただ建彦にされるがままになっていた。
「-----っ!!放せよっ!」
「認めないって言っているだろう?・・・・・諦めろ、俺はお前を放す気はないから。」
頭を振り身を捩じり逃げ出そうとしながら吐き出す様に告げた朋也を力を込め直し壁に強く抑え直した建彦は耳元へと呟くとそのまま朋也を強く抱きこむ。 身動きすらとれない朋也は微かに溜息を零すとそのまま諦めた様に力を抜いた。 腕の中へと抱き込まれ聞こえてくる心音に耳を傾けながらそのまま瞳を閉じた。
「距離を置きたいって、言ったじゃん・・・・・別れの言葉じゃないのかよ・・・・・」
腕の中、篭った声で呟く朋也を抱きしめる腕の力を抜くことはしないまま建彦は更に腕に力をこめる。
「そういう意味の距離じゃない。・・・・・本当に仕事が忙しくなっていたんだよ。少ない時間を駆使して会ったとしてもほんの数時間、
なら会わないほうが楽だろ?」
「俺は・・・・・」
「会えば触れたくなるし、この腕の中から離したくない。だけど、そんな時間もとれなかったんだよ。・・・・・これから、朋だって忙し
くなるだろう?就職難の波はまだ続いている、お互い少ない時間で無理して会う方が負担にならないか?」
「・・・・・俺は会いたい。一分一秒でも良い、疲れててもしんどくても、建彦の傍にいたかった。」
ほとんど身動きとれないほどきつく抱きしめられている腕の中、それでも朋也は必死に顔を上げると真っ直ぐに建彦を見つめる告げる。 困った様に笑みを浮かべる建彦の背へとそのまま腕を回し、ぎゅっと背へと回した手で服を握り締める。
「会いたい時にすぐ会えるならその方が良い、だけど、少ない時間遣り繰りして会いに来てくれるなら、それはそれで俺は嬉しいよ。」
「・・・・・・朋・・・・・」
「距離を置きたいなんて紛らわしい言い方すんなよ!放さないって思うならそのまま話してくれていいから!!」
頭を胸に擦りつけ叫ぶ朋也の頭を撫で、背へと回した手で優しく宥める様に擦られるから、余計幼い子供の様な口調になる自分に気づいてはいたけれど言葉は止まらなかった。
「・・・・・・ごめん」
「放さない、って本当?」
たった一言の言葉で落ち着きを少しづつ取り戻した朋也は緩めてくれた腕の中、もう一度小さな声で呟く。 背へと回した手を腰へ滑らせた建彦はそのまま朋也を引き寄せると、自分の額をこつり、と朋也の額へとぶつける。
「・・・・・建彦?」
「放さないよ、絶対に。朋には俺しか教えてあげない。」
口元に笑みを浮かべ呟いた言葉に朋也は無意識にぎゅっと掴んでいた服を更に強く握り締める。 そっと顔が近づいて来るから朋也は瞳を閉じる。 触れ合う温もりだけが全てで、ここがいつ人が通ってもおかしくない路地裏だって事も朋也の意識の中にはすでにもう無かった。
*****
「そうだ、お仕置きしないと。」
キスの余韻にぼんやり浸っていた朋也は突然の建彦の言葉に身を預けていた胸元から驚いた様に顔を上げる。
「・・・・・何で?」
「俺を疑ったし、勝手に別れ話されるし、俺は大変傷ついた!それに追い討ちかけるように更にアレだよ!」
「アレ?」
「・・・・・あの女と何処に行く気だったのか、しっかり聞かないと、ね?」
にっこり、と顔に笑みを浮かべてくる、だけどその目が笑ってなくて、朋也はぞくり、と悪寒が走るのを感じながら乾いた笑みを浮かべる。 戸惑う朋也の腕を引くと建彦はそのまま路地裏の暗い夜道を更に奥へと歩き出した。
「建彦?!」 半ば引きづられるように歩きながら声をかけた朋也に答えようとしないまま建彦はただ掴む手へと力をこめてきた。 互いの顔すら見えない夜道を歩きながら、朋也は目前に迫る不安と誓ってくれた永遠ともとれる告白の言葉への嬉しさの両極端の心と密かに戦っていた。
でもきっと不安よりも永遠を約束してくれた言葉が朋也に勇気を与えてくれる。 何をされても「愛されている」それだけを感じる事が出来るならそれだけで自分はきっと何もかもを投げ捨てるだろう。 ちっぽけなプライドも男としての自分すらも。 きっと。
- end -
2008-03-07
悲恋お題なのに別れる話ではありません。 世にいうバカップルってこういう人達ですかね? ともかく長い話をお読み頂きありがとうございました。
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