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 春には遠い冬のある日、突然の「失恋」が全ての日常を崩していった。 「失恋」を経験する度強くなるって誰が考えたんだろう。 泣いても喚いても二度と帰らない人をふとした瞬間に何度も思い出す。 いつも二人で通った道、二人で入り浸った店、二人で選んだ部屋。 思い出だけが降り積もり、もう隣りに温もりすら感じない、なのに思い出の詰まったこの街に居る限り、僕はきっと忘れられない。どんな風に恋をしてまたどんな風に恋を忘れるのか、僕にはもう分からなくなっていた。
  
「何て顔だよ。・・・・・もうあれから、一月位は経つだろ?」 
どんよりと沈んだ顔で現れた仁科北都(にしなほくと)の腫れあがった瞼と赤い目元に目を遣ると溜息を漏らし呟いたのは今日この場に呼び出した事情を知っている友人波川祭(なみかわまつり)だ。 北都は無言で祭へと視線を向け、隣りの席へと座る。 
「・・・・・一応、目出度い祝いの席だよ?」 
「わかってるから、俺の事は気にするなよ。ちゃんと祝うし、そのつもりで来た。」 
耳元へとこっそり呟く祭にぼそり、と答える北都は目の前に置かれたグラスへと手を伸ばすと渇いた喉を潤わす様に一気に飲み干す。そんな北都に祭は溜息を吐くと主催の席へとそっと目を向けた。 同僚の出世祝いというこの席に呼ばれはしたけれど、祭はもちろん北都だって同僚とは大して仲は良くないし、部署だって違う。『玉の輿』だと噂になった同僚の席はここから遠く、どこが祝いの席なのかも良く分からないまま、祭は横に座る友人へと目を向け直した。
  約一月前、死にそうな声で携帯に電話が来た祭は急いで彼の部屋へと向かった。 前からモノの少ない部屋だと思ってはいたけれど更に少なくなったモノのおかげで妙に寂しくなった部屋にぽつんと座った友人は「失恋した」と小さな声で呟いた。祭がそれからどんなに世話を焼いても、どこへ誘っても友人は笑う事も無ければ泣く事すら無い。祭としては泣かれた方が慰めの仕方があるのに、どんな言葉も彼の心には留まらないし、今は何を言ってもだめなんだと分かる。失恋を忘れるには新しい恋だと良く言うけれど、未だに泣いているのか分からない友人へともう一度目を向けた祭はそっと溜息を零した。 
  
***** 
  
どんなに酒を飲んでも酔えない。味覚も失恋で失くしてしまったかの様に味気ない水を流しこみ北都は遠い席にいる同僚へと目を向ける。遠くだから、そんなにはっきり顔は見えないけれど幸せそうな彼女は今当然輝いている。自分だって、ほんの少し前まではそこそこ幸せだと思えていたのに、思い出すとまた暗い底に落ちそうで北都は頭を振ると一気にコップの液体を飲み干した。 
「北都、飲みすぎはやばいだろ。」 
「大丈夫。そんなに飲んでないし、平気だよ。飲んでもいないとやってられない。・・・・・たいして知ってる相手でもないし。」 
「そうだろうけど・・・・・」 
諌める小さな声、微かに口元を緩め答える北都に祭は困った様に微笑む。目の前の友人にどれだけ心配かけているのかも分かっているのに、恋を失う前の自分が思い出せない北都は上手く笑みさえ返せない。 ざわざわとしていた会場が少しづつ静まってきて、北都は顔を上げる。 
「挨拶?」 
「出会いから結婚に至る道とかそういうのやるんじゃないのか?」 
結婚式じたいにあまり出た事の無い北都の呟きに祭が淡々と答える。スクリーンが降ろされ会場の明かりが少しづつ暗くなると音楽が流れ、映像と共に語りが始まった。 どこそこで生まれたとか、家族構成とかから始まり出会いまでのいきさつから結婚に至るまでの道のりを本当に映し出したそれをぼんやり眺めていた北都は思わず会場に入る前に貰ったパンフレットを取り出した。 
「どうした?」 
「・・・・・ちょっと、気になって・・・・・平気、だけど・・・・・ごめん、俺、トイレ行きたくなった。」 
急に落ち着きを無くした北都に思わず問いかけた祭の声に彼は身を竦めるとそっと立ち上がる。 
「北都?」 
「・・・・・ごめん、できるだけすぐ戻るから。」 
祭の声に片手を顔の前に立て謝ると素早く出口へと駆けて行く。床はカーペットが敷き詰められていて、足音なんて響きはしないけれど友人の慌てように、祭はその背がドアの向こうに見えなくなるまで呆然と見送っていた。
  明るい場所にいきなり出たから慣れない目がちかちかとする中、北都は目的の場所を探す。 ロビーの近くにある休憩所の椅子に座ると手にしていたパンフレット、本当はそうは言わないのだろう冊子を開いた。結婚式に出る予定は北都には全く無かった。 ほぼ祭に強引に連れて来られたから、北都は今の今まで花嫁である同僚の名前も花婿になるであろう人の名前すらも知らなかった。会社の同僚数人での人数合わせでいつのまにか北都は何の準備もなく連れて来られたから、はっきり予定外の式だった。 名前を知らなくても人数合わせだから問題ないとまで言われたのは連れて来られた場所が結婚式の会場だと分かった時の同僚の言葉だったから深く考えもしていなかったけれど冊子を読みながら北都はもっと調べるべきだったと今更後悔する自分に呆れた溜息を漏らす。 花嫁は二見百合絵(ふたみゆりえ)、花婿は榊涼(さかきりょう)。 大きく書かれた二人の名前を見つめた北都は冊子に顔を埋めるとまたしても盛大な溜息を漏らした。
  
「お帰り、いきなりどうしたんだよ」 
「・・・・・ごめん、いきなりだけど、俺本当に帰りたいんだけど。」 
「はい?」 
「ちょっと、まずい事に気づいたんだよ。」 
「何?」 
会場に戻って来た北都の顔色の悪さに眉を顰める祭の前で彼はぼそぼそと呟いた。あまりに小さな声で問いかける祭の前で北都は自分の荷物を探り携帯を取り出す。 
「何だよ、いきなり帰るって有り得ないだろ?・・・・・もうすぐ終わるだろうから、待てよ。」 
「無理。・・・・・俺、花婿には会いたくない。」 
「へ?・・・・・・何で、花婿なんて、他人だろ?同僚だけど、花嫁さんだって他人も同然じゃん!」 
「不味い事に顔見知りだよ。だから会いたくない。古傷に更に塩を塗りつけるなんて冗談でも有り得ない。」 
疑問が更に顔に大きく浮かび上がる祭に構わず北都は出口へと歩き出した。追いかける事も忘れ呆然と見送った祭は周りの視線にやっと我に返ると立ち上がり友人を追いかける為に出口へと駆けだした。 
  
***** 
  
「待て、って・・・・・いきなりどうしたんだよ!!」 
「頼むから、帰してよ!!一秒だって、もうここにはいたくないんだよ!」 
「・・・・・北都?」 
見慣れた背を追いかけ腕を掴む祭に北都は頭を振りながら、抵抗する。悲痛な声を零す北都に祭は掴んだ腕を離せないままぽつり、と名を呟いた。 
「俺はまだ忘れていないし、忘れられない。その人が誰かと幸せになるのを俺は見たくないんだよ。今はまだ・・・・・」 
「・・・・・北都?」 
「別れた人なんだよ、俺の別れた人があの人。」 
「・・・・・・花婿って事?」 
「だよ。・・・・・二股、かけられていたらしいよ、俺。」 
腕を振り払うのを諦め、やっと落ち着いたのか顔を上げた北都はそっと笑みを浮かべた。今にも泣きそうなそんな笑みを浮かべた北都は息を大きく吸うと口を開いた。 
「あの人の家は結構有名なお金持ちの家らしくて、政略結婚とかさせられるのは当然だとか言ってた事があるけど、結局家に従って俺は捨てられて、真っ当な道を進む相手をあの人は選んだって事だろ?」 
「・・・・・北都。」 
「辛いんじゃないと思う。悲しいとも違う、ただああそうだったんだって、自覚させられただけ。俺が別れたあの日から悶々と悩んでいた日々の間も結婚までの準備を淡々とあの人こなしてたって事、気づいたら虚しくなっただけ。でも、祝いたい心境じゃない。」 
「・・・・・祝ってやれよ、あんたが幸せになっても俺には関係ないって、堂々としろよ!・・・・・お前を捨てた男に未練を持ってどうするんだよ!」 
「・・・・・祭?」 
「そりゃ失恋したのは辛いかもしれないけど、未練たらたらなの見え見えなのは面白くないだろ?・・・・・捨てた事後悔するぐらい堂々としてろよ!・・・・・逃げたら先には進めない、と思うから。」 
腕を掴む手に力をこめ告げる祭の言葉に北都はただ顔を伏せる。 
「北都?」 
「まだ、未練たらたらだよ、悪いかよ!・・・・・本当に好きで、あの人が俺の全てだったんだよ」 
顔を上げた北都は泣きそうな程真っ赤にした瞳のまま、何度も瞬きを繰り返しながら、吐き出す様に呟いた。 
「でも、もうお前とは縁の無い人だろ?」 
「・・・・・祭ってたまに酷いこと言う。確かに俺とは縁の無い人だよな・・・・・縁の無い人か。」 
遠くを見る様に目線を彷徨わせた北都の顔が強張り、祭は目線の先を追った。
  白い燕尾服に身を包んだ男は呆然と立ち尽くしたままこちらを見ている。 顔色が変わっているのは遠くから見ているだけでも分かる、あれではこの先の式が問題だろうとも思うけれど祭は北都の腕を引き歩き出した。 
「・・・・・祭?」 
「僕も帰るよ。・・・・・花婿も結構動揺しているらしいし、北都がいたらまずそうだし。」 
「・・・・・お前は残れば?」 
「嫌だよ。花嫁だって顔見知りじゃないし、ただの同僚だよ。人数合わせの礼儀は尽くした。」 
「そう、ですか。」 
ぼんやりと呟く北都の腕を引き祭はさっさとロビーへと向かうと自分の番号札をカウンターへと差し出す。 
「待ってくれ!・・・・・北都、待ってくれ!!」 
上着と鞄を受け取り、帰るとなると手早い祭にほとんど引きづられるように歩き出した北都は呼び止められ思わずその足を止める。 走ったのか整えていた髪が数本額にかかり、息も乱れているのか微かに肩が揺れていた。 
「・・・・・涼。」 
微かに名を呟いた北都の腕を祭が背後から強引に引く。振り向くと、視線は入り口に立つ男を見つめていたけれど、その手は北都の腕をきつく握り締めている。 
「帰ろう、祭。俺はもうここに用は無い。」 
「・・・・・北都?」 
力をこめて掴む手にそっと手を重ねた北都は笑みを浮かべ、目線を自分へと向き変えた友人へと告げる。 
「北都!」 
背後から聞こえる声に耳を塞ぎたくなりながら、北都は祭を促すと背を向け歩き出す。 
「いい、のか?」 
「・・・・・前に進むべきだと、俺も思うから。あの人にも俺にも先はあるから。」 
まだ、名を呼ぶ声に振り向こうともしない北都に祭は口元に笑みを浮かべると先に歩き出すその背へと走り寄る。
  夜道を照らす電灯の灯りにちらつく粉雪の中を北都は祭とゆっくり歩く。 
「慰めの酒は何が良い?」 
「・・・・・度数の高いのなら何でも。浴びるほど飲んで何もかも忘れたい。」 
沈黙を破る様に突然呟く祭に同じく歩いていた北都は足を止める。今はもう姿も見えないホテルがあった方を眺めながらぼんやりと答える。 
「北都」 
「飲んで飲んで、あの人を俺の中から消してくれる酒が欲しいかな?・・・・・・でも、まだきっと無理、かな?」 
耳に残る自分の名を呼ぶ声を思い出す為に瞳を閉じた北都は口元に笑みを浮かべる。自分がまだ忘れられない思いに悩んでいる様に彼も悩めばいい、罪悪感それだけでもいいから、ほんの少しだけでも痛い思い出だとしても思いだしてほしい。胸が痛くなるほど、彼を愛していた自分がいた事を。 ちらつく雪の向こうにあるだろう場所に今もいるだろうあの人に、それが北都が今考える事の全てだった。 
 
 
中途半端な話で申し訳ありません。でもこれ以上は書けなかったのです。ですがリベンジします。今から予告、続編はきっとお題のどれかで書きます。書いた時にはここにリンクも繋げます。ではではしんみりして頂けると嬉しいです。 20080610
 
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