「・・・・・俺、だけど・・・・・会いたいんだ、だめ、かな?」
音信不通になって早数年、記憶の奥にしまっていた昔を一瞬で掘り起こされた気がした。
「今すぐ、じゃなくていいから、返事は携帯にでもいれてくれ。番号は変わってないから・・・・・じゃあ、ごめん!」
黙り込む自分に気づかないまま、一方的に話すと彼が受話器を置いたのか、聞こえてくるのはツーツーという音だけなのに、置くことすら忘れ、受話器を離しもしないままずるずると床に座りこんだ。 宮地古都(みやじこと)、23歳になるのに、未だに未成年と間違われる幼い顔に見合うと良く言われる可愛らしい名前が昔から長い事、コンプレックスになっていた。 その名前を綺麗だと、後にも先にもそう称したのはかつてのクラスメイトである高橋良(たかはしりょう)その人で、記憶に残る中では彼だけが唯一古都の名前をからかう事もなかった。 高校を卒業する時にある事が原因で音信不通になったかつての友人は記憶の奥にしまっていた昔を古都に思い出させる事を目的としているのか、本当に突然電話をかけてきた。 忘れていたはずだった。 次にまた会う時はかつての友人だった自分達に戻れているかもしれない、そう思えるまで会わないはずだったのに、その電話は頭に描いていた未来図をあっけなく崩し去った。
掘り起こされた記憶の中よりも少しだけ大人になったからなのか落ち着きさえ醸し出す低い声。 記憶の中よりも少しは成長した自分よりもきっと更に成長しているだろう良の姿を思えばあの電話の日から油断するとすぐに思い出す。 奥に閉じ込めていたはずの昔がまったく薄れていない事実から目を逸らしたくてその度に溜息を吐く古都は最近会社では「悩み事は聞くぞ!」と上司や先輩、同僚に何度も言われる。 その都度曖昧な笑みを浮かべ話を逸らすのも本当に限界である日の会社帰りポケットに入れていた携帯を取り出すと消すことができなかったアドレスを呼び出した。
『終わるなら、それでもいいよ。・・・・・だけど、これだけは本当の事だから、ちゃんと伝えたかった。』
『・・・・・聞きたくない!そんなのおかしいよ・・・・・間違ってる!』
『それでも、俺は・・・・・・待てよ!!おい、古都!!』
耳を塞ぎ、走り出した古都の背を呼び止める声を無視してそのまま校門の外へと出て、逃げる様に自宅へと帰った。 何度も電話してくるそれに居ルスを使い、親に口止めをしてまで、実家から遠く離れた場所へ進学したのは全て無かった事にしたかったから。 会わない日々で忘れてしまう記憶にしたかった。 いつか偶然出会えたその時、過去の蟠りのないそんな関係でいたかった。 飛び起きた古都は荒い息を吐くと額に浮きでた汗を拭い、良との別れの日を夢見た自分に溜息を漏らした。
「宮地です。突然の電話、驚きました。・・・・・会うの構いません、時間と場所を教えて下さい。特に希望は無いので都合に合わせます。・・・・・では、失礼します。」
我ながらなんて他人行儀な言葉だろうと思いながらもルス電である事にほっとしながらメッセージを入れると古都は電話を切る。 散々悩んで、決心は未だにふらついてはいるけれど、番号を押すのに長い時間はかかった、でも取り合えず連絡はしたと一人納得した古都は本人が出なかった電話に安堵していた。 直接会う前に声を聞けなかったのは、心の準備があまり出来ていない古都には落胆ではなく安心しか産まなかった。 まともに会う事が出来るのか不安が募るけれど、それでも事を成し遂げた気がしていた。 何日も経たない内に返答は来て、あっという間に再会の日々はやってきた。
*****
「こっちから指定しといて、ごめん、遅くなった!」
見慣れないスーツ姿、整えた髪、あの頃よりも伸びた身長。確かに変わったけれど席に着いた彼は古都の知っている高橋良だった。 「・・・・・僕も、今さっき来たところだから、大丈夫だよ。」
かなり緊張している自分に気づきながらも曖昧な笑みを浮かべる古都の前で良は相好を崩すとネクタイを緩めた。
「もう、何か頼んだのか?」
「・・・・・これからだけど、何か軽く食べとく?」
「そう、だな。」
メニューを手に取るとぱらぱらと捲り、良は店員を呼び寄せると素早く頼むとやっと顔を上げる。
「適当に頼んだけど、良かった?」
「・・・・・うん、ありがとう。」
がちがちに緊張している古都は笑みを浮かべると問いかける良にただ頷いた。 店内の喧騒とは逆に静かで居心地の悪い空気が流れているようで戸惑い俯く古都の前、良は胸ポケットから煙草を取り出し、かちり、と火をつけた。
「・・・・・煙草、吸うんだ・・・・・」
ぼんやりと呟く小さな声に目を向けた良はただ笑みを浮かべるとそのまま煙草を燻らせた。 料理が届くまで会話らしい会話もなくただ黙ったまま、俯く古都を良は煙草を吸いながらじっと眺めていた。
「それでは、久々の再会に!」
「・・・・・うん。」
笑みを向けコップを向けてくる良に躊躇いながらもコップを触れ合わせる古都は箸を手に取ると並べられた料理へと視線を移した。
「・・・・・それで、何で急に連絡くれたの?」
「居場所が分かったから、それに昔の友達に用も会ったんだよ。」
「用?」
「そう。・・・・・昔の俺がしたバカな事、ちゃんと謝りたかった。」
お腹が満足したからなのか、時間が解決したのかやっと少しだけ落ち着いた古都は顔を上げると良へとやっと話しかける。 苦笑で答える良は溜息を吐きながらコップへと手を伸ばした。
「・・・・・それは、もういいよ。気にしてないし、お互い元気なんだし・・・・・」
内心本人の前だからと曖昧な笑みを浮かべる古都に良は一瞬だけ眉を歪めるけれどすぐに笑みを浮かべてくる。
「ありがとう。・・・・・もしかして、会ってくれないかな?って思ってたから、連絡貰って嬉しかった。・・・・・あの時は本当にごめん、どうかしてたんだ。ちゃんと謝らないと俺は一生後悔する気がしてさ。」
何も言わずに首を振る古都に知らずに気を張り詰めていたのか大きく息を吐いた良は笑みをもう一度浮かべると手にしたコップの液体を一気に飲み干した。
「・・・・・それだけがずっと心残りだったんだ。」
「大げさだな。・・・・・気にするなよ、昔の事なんだから。」
「だよな。・・・・・あれは気の迷いだって今なら思える、本当にどうかしてた。」
そう告げると頭を下げてくる良に古都は慌てて「だから、大げさすぎだって!」と笑みを浮かべ何気なく彼の肩を叩く。 苦笑を浮かべる良に笑みを向け古都もコップに残る液体を喉へと流し込んだ。
「今日は来てくれてありがとう。・・・・・嬉しかった。」
居酒屋の入り口で唐突に告げる良に古都はただ笑みを向ける。
「こっちこそ、会えて良かった。連絡してくれてありがとう。」
軽く頭を下げると笑みを向ける古都に良は笑みを返してくる。
「俺、こっちなんだけど・・・・・宮地は?」
「僕は駅だから、ここで。」
「そっか。・・・・・気をつけて帰れよ。」
「大丈夫、そっちこそ気をつけて。じゃあ、さよなら。」
良が自分を呼ぶ時のそれが名前ではなく名字なのに気づいた古都はそれでも笑みを浮かべたまま背を向ける。
「宮地!」
「・・・・・・何?」
歩き出した古都を見送っていたのか急に呼びかける声に首を傾げたまま振り返ると良はまだ居酒屋の前に立っていた。
「・・・・・あのさ、俺・・・・・今度、結婚するんだ。だから、独身最後の心残りに会えて良かった、本当にありがとう!」
笑みを浮かべ淡々と告げる良に古都は一瞬言われた意味が分からず呆然とするけれど、その顔に笑みを浮かべる。
「・・・・・おめでとう、お幸せに!!」
「ありがとう!・・・・・じゃあ、お前も元気で!」
手を振ると背を向け歩きだす後姿をぼんやりと見送った古都は反対へと背を向けそのまま歩き出した。
*****
桜の時期はもう終盤のせいなのか、ピーク時には花見客で賑わっていた公園はただ煌々と照らす月だけの世界だった。暗闇の中、ぽつり、と祭りに遅れて咲き始めたのかやっと散りだした桜を眺めながら古都は自販機で買ったビールへと口をつけた。 記憶の奥に仕舞いこんでそのまま忘れてしまえるはずだった。 あの日、電話さえこなければ何もかも過去の事だと笑える昔話だとそう、言えたはずだった。 心残りが謝る事だなんて、あの頃から真面目だった良らしい言葉で古都は口元を緩める。 再会した時、一度も名前を呼ばなかった良を思い出す。 過去の過ちだとそう言いきった彼の顔。 大切な宝物を暴露するように少し上気した顔で告げた結婚の事。 渇いた喉を潤す様にまたビールへと口をつけながら古都はただ上を眺めていた。 逃げる様に去った田舎にある桜を思い出す大きな桜の木を見上げたまま古都はビールをごくごくと飲み干した。 言葉にも態度にも現さないと心に固く誓ったあの日、記憶の奥へと鍵をかけてまで仕舞いこんだ過去は笑える昔話に出来るまで決して掘り起こすことは無いと思っていたのに、空になったビールの缶をそった置き古都は立ち上がる。 地面に散らばった花びらから桜へと目線を動かしながらただ笑みを浮かべた。 月の光で散ってゆく花びらがぼんやりと薄紅色に光りながらひらひらと落ちていた。
「おめでとー!!」
「お幸せに!!」
「・・・・・綺麗な花嫁さんと格好良い花婿さんね。」
「本当に。」
教会から出てきた二人を祝福する声とばらまかれる紙吹雪、ではなくこの日の為に用意された小さな花びら達。 純白のドレスとタキシードに身を包んだ二人がゆっくり、と赤いカーペットの敷かれた階段を降りてくるのを盛大な拍手が迎える。階段の真下よりも少しだけ人目から離れたその場所から眺めていた古都は幸せいっぱいの笑みを振り撒く二人に少しだけ瞳を細める。 大勢の人に祝福されている彼らの目に自分が入る事はないと分かっていても、もし気づかれたらと思うと困るから影に隠れていたけれど、均等に笑顔を振り撒く彼らに自分の心配は杞憂だったと知る。 あの様子では誰が誰なのか判別するのも難しいだろうと思う。それほどの賑わいで、知り合いも知り合いじゃない人も混ざっている気がする。それでも不安にかられる足を一歩だけ前に踏み出した古都は遠く離れているけれど確実に近づいて来る二人を眺めた。
「好きだったよ、君の事。」
人の群れに潜りこみ、出来るだけ彼の傍に近寄ると古都は大きく息を吸う、そして歓声にまぎれ聞こえないと分かっていても言わずにはいられなかった言葉を口にすると古都はそのまま背を向け歩き出す。 ポケットから時間の確認の為に取り出した携帯を眺め、忘れていた事を思い出しアドレスを呼び出した。 画面に映る好きな人の名前、削除のボタンを押すと出てきたメッセージにこくり、と唾を飲み込んだ古都は背後から聞こえてきた足音にほとんど無意識で道路の端へと除けながらじっと画面を見つめる。
ものすごい力で捕まれた腕に驚いて振り向いた古都の前、荒い息を吐きながら彼は立っていた。
「・・・・・何で・・・・・?」
呆然と呟いた古都の腕を引き、本当にタイミング良くなのか、悪いのか、丁度やってきたバスへと強引に乗り込む彼は最後部の座席へと座りこむ。 走り出したバスの中、突然の出来事に頭がついていかない古都の横、まだ整わない息で胸を上下する彼はやっと顔を向けてくる。
「・・・・・何で、は俺の方。どうして、あの場所で言うの?・・・・・・俺を否定したくせに。」
「・・・・・式。」
「答えろよ、ちゃんと俺を見てそれで言えよ。」
戸惑う古都の掴んでない腕をも引き寄せ問いかける声と真剣な眼差しに困った様に眉を顰めたままそれでも彼を見上げる。
「好き、だよ。・・・・・良の幸せを壊すつもりで言ったんじゃないのに・・・・・ごめん。」
少しだけ口元を歪める古都は自分でも笑みを向けたいのか、それとも泣きたいのかも分からなかった。
「俺も、好き。・・・・・気の迷いでも過ちでもない、あの頃からずっと。」
きつく抱きしめられ、愛している、と続ける男の腕の中、古都はその胸元へと顔を摺り寄せると背へとそろそろと腕を回した。もう窓からは影すらも見えない教会を少しだけ頭の端に思い出した古都はそれでも縋りついた体を離す事が出来ずにただそのまま、もう少し、この時間が少しでも長く続く事だけを祈っていた。
もう少しだけ、これから起こる全ての事に目も耳も塞いだまま、温もりに縋りついていたかった。 力をこめてくる腕の中、背へと伸ばした手に古都は力をこめた。
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