上を見上げて、ちょっと息を吐いてみる。
大丈夫、何度も自分に言い聞かせて、顔を正面に向けると前を見据える。
このままじゃダメだと分かっていたのに、認めるのが少し遅れた。
大きくもう一度だけ深く息を吸い込むと不足の事態を回避させる為、自分にとってこれが最高だと思えるとっておきの笑顔を貼り付けて見る。

01.The invisible world -見えない世界-

何かあると逃げるのは昔からだった。
柳楽勇気(なぎらゆうき)、しっかり名前負けしている事を自覚したのは恋を覚えてから。いつだってタイミングが恋には必要だけど、そのタイミングをどこかずらしているのが勇気だった。
例えば好きな人が出来て、ああ、この人が好きなんだと自覚したその時にはその人には恋人が出来ていたり、とか、互いに思いあっていそうだと自覚したその時にはもう遅かったりとか、いつだって恋が自分の中で始まってからでは遅すぎた。
だけど始まる前に好きになる、そんな器用なまねはできなくて、失恋が勇気の恋の全てだった。
そう、だったのだ。
今までと違う、自分の恋のタイミングと波長が合う相手に出会えるなんて勇気はその時まで思ってもいなかった。
山城桃李(やましろとうり)、バイト先で出会った一つ上の先輩。話が合う、同じ趣味がある、そんな事から仲良くなって勇気は徐々に桃李へと惹かれていった。
その同じタイミングで桃李も勇気を気に入ってくれていたらしく、告白してきたのは桃李が先だった。
頷いた事から始まった交際は現実なのに夢の出来事みたいだった。
少しだけ大きい桃李の手が勇気の頬に触れるのも、ぐしゃっ、と少しだけ乱暴に照れ隠しの様に頭を撫でられる事も、肩を抱き寄せられ初めてキスした時も勇気は夢みたいな出来事だと、現実感がしばらく伴わなかった。
だけど、毎日会って毎日その声を聞き、毎日触れ合うその内にもっと桃李が好きになっていくのも自覚していた。
桃李という存在が生活に欠かせなくなる、そんな日常が当たり前になった、そんなある日の事だった。

「友達の隼(はやと)、話したら会いたいって言われて」
「初めまして、山城さんの話は耳にタコが出来る程勇気から聞いてますよ。 本当に格好良くて驚きました!」
いつもの待ち合わせ場所、桃李が来た時、勇気は一人じゃなかった。
勇気の横には人懐っこい笑みを向けてくる男の姿。慌てて紹介する勇気の顔は少しだけ困っていて、桃李は目の前の友人だと名乗る男にただ笑みを向ける。
三人の時間は以外に長くて、遠慮という言葉を知らない隼はますます困っていく勇気に気づかずに話し続ける。
会話はスムーズに、誰にでもそれ対応の会話を出来る人当りの良さは桃李も負けていなくて、一人困る勇気をよそに二人の会話は予想以上に盛り上がっていた。
やっと二人きりになれたのは、隼の携帯が鳴ったから。
「すいません、もう、こんな時間! またお会いできると嬉しいです、本当に楽しかったです!!」
終始崩さない笑みのまま語る隼に桃李は「こちらこそ」と笑みを向ける。
手を振り去っていく隼を見送った後は気まずい沈黙が支配して勇気はそろそろ、と桃李の顔を見上げる。
「・・・・・あの、ごめんなさい。断れなくて」
「良いよ。それより、あれ、ほんとうに友達?」
ぼそり、と呟く勇気の細い声に桃李は肩を縮める彼へと視線を向け問いかける。
あまりにも系統の違うタイプの友達だと思っての問いかけに勇気は肩をびくり、と揺らし微かに笑みを浮かべる。何も言わないその姿に桃李はその先を何となく悟り、宥める様に緩やかに勇気の背を撫でる。
青白くなりかけていた頬に少しづつ赤味が戻るのを見ながら桃李はただ笑みを返した。


*****


二人きりの穏やかな時間があれから少しづつ浸食されているのを感じ微かに零したその溜息を聞き取った勇気の前に座る男が顔を上げる。
「最近溜息ばかりだな? うまくいってないの、あの人と・・・・・・」
「・・・・・どうだろ? 分かんないや」
「もうすぐテストなのに、大丈夫なのか・・・俺で良かったら話してみる?」
曖昧な笑みを向ける勇気に眉を顰めた男は顔と体を近づけて更に問いかけてくる。明らかに様子の違うその姿に進んで一歩を踏み出しかけた男の背後からやけにハイテンションな声が響いてきた。
「そんなに良い男なの?」
「うん! 優しくて、僕と話も合うし、隣りに並んでも見劣りしない、本当に理想の人だよ!!」
「・・・・・へーっ、向こうも隼が良いって言ってくれてるの?」
「まぁ、時間の問題だよ。 だって、僕のどこがあれに劣るっての?」
「言えてるーっ!!」
まるで集団で話す女子高生の様に輪になって話している集団へと目を向けた男はすぐに目の前の勇気へと目を向ける。
「あの話の相手って、もしかしなくてもお前のあの人の事?」
「・・・・・たぶん、きっとそう 一度会った事があるから・・・・・」
「何、お前は律儀に紹介してるわけ?」
「偶然で、それで・・・・・」
「あれに偶然なんて通用しないだろ? 油断してると取られるぞ?」
男の言葉に勇気は更に大きな溜息を零したけれど、返答はとうとう無かった。未だに騒いでいる集団へと冷めた目を向けた男は頭を掻き毟ると勇気に負けないくらいの溜息を零した。でもその溜息は勇気の諦めに徹したそれとは意味合いが全く違っていたのだけど、勇気がそれに気づく事は無かった。

入ってすぐに聞こえてくる笑い声に勇気は微かに眉を顰めると拳を握りしめた。
転機と言えるのはまさにあの日、隼が着いてくるのを断れなかった自分のせい。
中学から同じだけど、もう一人の友人とは違い、隼は高校に入ると同時に自分たちとの間に線を引いていた。
それは「可愛い」と褒められ続けた彼が見つけた転機だったのだろう。線を引き、別に新しく友人を作り出した隼は気づけば同じクラスになっても勇気やもう一人の友人に話しかける事なく、クラスの中心人物として目立つ存在になっていた。
明らかに世界は違うと目線で態度で醸し出した隼に勇気ももう一人の友人も話しかける気にはなれなかった。
そんな彼が珍しく自分に着いてきたのが不思議だったけれど、戸惑いの方が大きくて、その先を考える事をしなかった。
釣り合いが取れている、そうクラスで大声で話していた隼の声が耳に残っている。
遠くから見ても確かに絵になると言わざるえないけれど、勇気は握りしめる汗ばむ手にさらに力を込めると息を吸い込み少しづつ彼らへと近づいていく。
「勇気! 遅かったね、学校の用事だとか聞いたけど…もう、平気?」
「ごめんなさい、遅くなって」
「良いよ じゃあ、行こう」
いち早く近づく勇気に気づいた桃李は立ち上がりいたわる様に顔を覗き込み問いかけてくる。それに微かに頷き謝る勇気の背へと手を当て促すように歩き出しかける桃李に勇気は微かに首を傾げる。
「桃李さん?」
「あの、山城さん! もう少し話しませんか? お時間は大丈夫なんですよね?」
去ろうとする桃李に隼が縋る様に話しかける。不思議そうに自分を見る勇気の頭をゆっくり撫でた桃李は背後へと目を向ける。
「待ち人は来たし、隼くんにも待ち合わせ相手がいるんじゃなかった? 勇気が来るまで話相手になってくれて本当にありがとうね、感謝してる」
笑みを向け軽く隼の言葉を流した桃李は尚も言葉を続けようとする隼の前から勇気の手を引きさっさと店を後にする。
「桃李さん?」
「遅くなるならメールしてくれれば迎えに行ったのに、アドレス教えてたよね?」
「ごめんなさい、すぐ終わるはずだったんだけど・・・・・」
困った様に俯く勇気の頭を空いてる手で撫でた桃李はそのまま顔を覗き込んでくる。
「ねぇ、勇気はもっと俺に我儘になって良いんだよ」
「え?」
「すぐ謝るし、いつもどこか遠慮してるだろ? 俺は対等でいたいと思ってるんだけど、勇気は違うの?」
思わず足を止めた勇気はじっと自分を見る桃李へと目を向ける。
「桃李さん?」
「年の違いはしょうがないけど、その他の事では対等でいたいよ俺は。だって俺たちは唯の友人じゃないだろ?」
ね?と首を傾げ覗き込んでくる桃李に勇気はいつのまにかしっかりと握られていた手へと力をこめる。そんな勇気の態度に桃李は笑みを向けると繋いだ手をそのままに歩き出す。ドキドキ、と胸が高鳴る。歩調を合わせてくれる桃李の横を歩きながら、勇気は今までの恋と同じじゃない、と改めて思う。繋いだ手から感じる温もりをそのままに、この恋だけは手放したくない、と勇気は本気で思った。


*****


名前負けしているのは自覚している。押しも弱いし、恋をするタイミングだっていつも外していたし、まともに恋愛できるのか不安になった時だってあった。
隣りを今は確実に歩いてくれている桃李だって、勇気の傍からいつかは離れるかもしれない。だけど。
「桃李さん、好きです」
ぽそり、と呟く小さな声が聞こえても聞こえなくても勇気は構わなかった。ありったけの自分の中の勇気を振り絞って呟けた、それだけで満足していたから、繋がる手から伝わる温もりがますます強くなった事に気づき、そっと顔を上げる。
隣りを歩く歩調は変わらない、表情だって変わらない。だけど、桃李が視線に気づいたのか勇気へと目を向ける。
「俺も好きだよ、だから・・・」
握る手に力をこめてくる桃李の先の言葉を聞かなくても、勇気はその先に気づき顔を赤く火照らす。
閉じていた世界を開き、開かれ、出会えた最愛の人との日々は、どんなタイミングも逃さない。ぴったり、寄り添うぐらいに、今、互いが同じ気持ちである事を如実に伝えるそんな温もりを分け合う手に勇気も少しだけ力をくわえた。

ほんわか、なムードを目指すとこんなになります。
シリアス展開も考えたのですが、一話読み切りを目指しておりますので、お手柔らかに。 20130624UP